平和記念資料館へ‼  【諸国との狭間で】

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広島平和記念資料館】(ひろしまへいわきねんしりょうかん)は、広島県広島市中区に所在する博物館(平和博物館)である。「原爆資料館」(げんばくしりょうかん / もしくは「平和資料館」)とも称される。

広島平和記念資料館
Hiroshima Peace Memorial Museum

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wikipedia出典



201x年、夏、8月某日にて広島の「平和記念資料館」に行ってきました。


広島は私の地元です。(とにもかくにも。)



実は…この「平和記念資料館」。私が小学生時のいわゆる『平和学習』の授業内で「行かされた」頃以来の行動先とも言えるのです(恥ずかしながら…地元であるのに人生2度目の来館となります。この場所は。)



さて、この「平和」についての問題は、それ自体がスケールが果てしなく、かつかなり難解で影響力の大きいテーマであるので、


ここでは、あくまでも「【私】のシンプルな主観論と率直な感想」と「行きと帰り道においての雑話」のみに《焦点》を絞って淡々と記述していこうと思います。


よってスケールの大きく、繊細かつ重大性のある「平和論」や「戦争問題」等の世界規模なる問題やテーマについては、正直私一人には『手に負えない』ですし、事が事でありますので、あくまでも


「私のプライベートな日常の一日での出来事」

と参考程度に呟いてるとでも解釈して頂けることに了承を得られると踏みまして、やはり淡々と記述させて頂きます。



さてさてこの「平和記念資料館」に私が行こうと思った発端はというと、


まず
たまたまTVを観ていて、観た当時の時事問題の『日韓間の貿易問題においてのインタビュー』で日本在住の韓国のかた2~3人の、


日本製品に対しての見識や意見が、皆さん共々に、実に「論理的」かつ「個々人の意見や意思が明確」なことにあらためて私がショックを受けてしまったことです。(なんか今更ってな見解ですが



TVの街頭インタビューの記者の『日韓貿易問題』に対しての質問
「日本に売ってる製品に対しての購買意欲に変化はありますか?」
「あなたたちは買う量に増減の変化はありましたか?」など。

街頭のインタビュー時の、日本在住の韓国出身の人達(2~3人位)は、質問に対するお答えかたが日本人のご返答の仕方と、極めて違いが見られるし、そのご返答内容自体が、まさに『人間の尊厳の実存を感じさせ、意思をもった自分一人自身の意見』の明確さがより強く私の眼には映ったからです。


https://m.youtube.com/watch?v=c_4RnNsMXLM


その当時のTVインタビューでの韓国のかたの※ご返答の内容※は、事細かくは思い出せませんが、諸々のデータ等や皆さんのご見識の一般論からにもってしても、私と多少意見が重なるかたもおられるかも知れません。(韓国のかたが外国のかたである事実っていうのもあります、私たち日本人からの観点の価値観の違い等にも見解は異なるでしょうし、勿論、韓国のかた自体に対する見識も賛否両論あるとは思いますが。まあ、ここの記事ではポイントはあくまでも


《きちんと主張できる自我を確立しているパーソナリティーとしての韓国の方々の側面》

のみに重点を置いて話を進めます。




NHK「その時歴史が動いた」コミック版 昭和史 戦争への道編 (ホーム社漫画文庫)



なので、私としては

⇒『きちんと確立された自我パーソナリティー』から

⇒『緊張感のある国土での暮らしぶり』
     (イコール) 
⇒『緊張感=生命として、自覚している危機感情』

⇒『(他外国においての)徴兵の制度の義務化の存在』(※徴兵制ではない軍事制度の国々も多々あるでしょうが※)

というニュアンスで感じとり、「日本にも自衛隊はあるけれども、他外国の様に『(仮想としての)軍事訓練の(仮想としての)義務化』は例えばの話であるが、存在していても良いのではないだろうか」と例えばですが少し思ったのです。(もちろん『例えば』の話です)




ただ、一般『日本人』のパーソナリティーと軍事訓練義務づけ制度の存在のある『諸外国人』の パーソナリティーに私がただ、劣等感を感じたと言えばそれまでの事なのです。(もちろん戦争肯定等をしているわけでもありません。)



そのTVインタビューを見た時期タイミングで、私自身は『自分がどうありたいか』とか『自分がどうしたいか』や『利他心』とか『倫理』について断片的になんとなく考えていたん時期でしたが、それらについてある種の限界を感じていた部分も実のところありました。それらの限界の半分領域くらいを軍事制度等その他に責任転嫁していた事実もあると言うとなれば、それはそれで否定できません。



その私の心理状態がそのTVインタビューの内容とたまたま時期的にシンクロナイズしてしまい、普段よりさらに『パーソナリティー』についてその時期は敏感に反応しすぎたのかも知れないです。


とにかく、

⇒「平和都市 広島」が

⇒『戦争を忘れかけている 広島」に観えて

⇒「戦争を忘れた人達(一部の人?)」

⇒「(平和の感覚の源泉である)比較の対象そのものを、良くも悪くも失ってしまった状態での、平和視点」に感覚が移行してきている?

⇒「現状は、日本においては、平和という認識自体がわからない人が逆に増えてきている傾向があるのではないか?(良くも悪くもないが『必然的、自然的な展開においての流れで』」

と私には近年において益々感じるようになってきており、特に被爆地広島という場所においては、



「平和であるという感覚の理解度合について」
《あくまでも悲観的に『仮説する』とすれば》、


⇒『今のところ戦争もなく、実際に平和だけれども平和である自覚自体がなんとなく理解できてなさそうな日本』
⇒『その日本のなかの更に平和状態が強めの(平和ズレの様な)広島』という悲観的仮説の観測から
⇒『更に平和な広島⇒平和の感覚自体がより理解しづらくなっている県』


という様相を呈してきていて、平和に対する認知能力や自覚度合いや感覚度合い等が、全体的に県内で減少してきている傾向が若干あるのではないか(?)
(世代別でもまた感覚度合については違いがありそうですが。仮定です)


とあ・く・ま・で・も、仮説自体そのものを、『自身の主観性に限定』し、『自身だけが思い込んでしまっていそうな、そういった例題』だけを、『自身だけの根拠の上に位置』付けて、


『平和である状態の感覚』に対しての比較基準対象物がもしあるとしたらこの「平和記念資料館」くらいしかない⇒それは日本では広島あたりにしかない⇒この場所はパーソナリティーの魂の源泉である参考文献がある貴重な場所かもしれない
と、不純な自己啓発的な考えで「平和記念資料館」へと早速早いうちにでも行こうかな、と考えが至るのです…


燃えよ剣 全2巻 完結セット (新潮文庫)


もちろん『平和の橋渡し世代』としての役割と、平和の実現化と継続化の責務を負い、かつ願いつつ、それら『平和主義の貴重さ』を原点とした考えを中心に置いた上での話です。では。いつ行こうかなと私は計画を練り始めます…(行くだけにしてはやや大げさですが)


話が長引いてしまいましたが、

∥∥次回は∥∥
 …しかるべく、複数人でいざ久々平和の地へと足を踏み入れる。



※注※ 記事の内容に一部、倫理観点がやや少なめでの表現があるかもしれない事をお詫びします。なおあくまでもこの記事自体が主観性の要素が強く、仮説や仮定、例え、比喩や暗喩を用いた独自の内容を中心にして描いて作成しており、また、個人的な意見の正当性を訴えたりするところの記事ではありません。第三者のかたがたの価値観や権利を侵したりするものではないところの創作物ですので、それを踏まえて記事を構成しております。読まれるかたはこれらの点にご注意され、くれぐれも内容についてはご容赦の程を宜しくお願いします。ありがとうございました。※


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