【2記事目リポーティング】平和記念資料館へと…道中の小談話

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【ホワイトパノラマ】
原子爆弾が落ちる瞬間等の状態を投下する側からCG等で再現映像化。実際に原子爆弾の投下前と投下後の街の状態変化などが上空視点から仮想観察できる)


広島平和記念資料館】(ひろしまへいわきねんしりょうかん)は、広島県広島市中区に所在する博物館(平和博物館)である。「原爆資料館」(げんばくしりょうかん / もしくは「平和資料館」)とも称される。 :wikipedia出典



…さて早速8月某日に平和記念資料館へと結局は3人で行くことになり、豊田くん(仮名)と僕とNPO法人「R(り)・セクション」理事長とで、
(おおよそはと言うと、このブログの『ブレインストーミング』時の面子で)


豊田くんの住むマンションへ理事長と僕で向かうことに。

あまりにも暑いので、途中スーパー店に寄り、大きめのドリンクを2本ほど買い、豊田くんの一室の前へ行くと豊田くんがドアを開けてくれて中へ入れてくれた。


豊田くんの部屋で皆はドリンクを飲みながら、少し雑談して、「平和記念資料館」最寄駅につながるモノレール電車の駅へと皆で自転車で向かうことで意見が合意した。


それで、早速行こうという時に、豊田くんのマンションの駐輪場にある自転車の片方一輪内の空気が丸々抜けている。→❓

豊田くんはバイク好きな性質なのも相まって、自前の「パンク修理スペア一式」をさがすが、無い💧→❓




たまたま隣近所にフランチャイズメーカーの自転車屋さんがあるらしく、(今はちょうど夏のお盆期間だけど)心持ち楽観視しながら店へ行くと期間限定で閉店中。→❓

とりあえず「豊田くん」は原付バイクで行き、この地域の最寄り駅で集合することにした。


マッカーサーを叱った男 白州次郎ほか
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NHK「その時歴史が動いた」コミック版 経済立国編 (ホーム社漫画文庫)


…(神経質な話だけども、僕は何かどことなく嫌な予感がよぎった。)
この「平和記念資料館」へと行く『目的』はというと、

「僕と豊田くん」の 「独善的でかつ、エゴイスティック、傲慢でいて、感謝の気持ちの足りない、いわば自己中心的な性分や、生活習慣による視野の狭さ、自己執着性といった生き辛い生き方」の「改善」のため、


→「平和の意識」の学習や見直しの考え方でもってして、

(『平和でこそ』成り立っている日本の社会構造や、就労による生活の営みの有り難さ)からの
→「感謝する姿勢の習慣化」

→「それらの性分」の視野の拡大

→「自己執着性」から→「他者への思いやり」


を多少なりともの『意識改革』を狙っての「行事」や「イベント」としての



≪平和学習≫なのである。(威張って言うほどのものじゃないけれど)

(もちろん、「平和の尊さ」や「戦争について」の個々の再認識等も今回の目的です)


NHKドラマスペシャル 白洲次郎 DVD-BOX


「僕」も『それらの性分、悪癖』については悪い意味合いでも結構当てはまるのだけれども、
「豊田くん」については『それらの性分』が更に顕著に視られていて、彼は今までは、『エゴイスティックなものや快楽なものなるイベントなど』は喜んで来るのだけれど、『机上の平和学習』とか『他人の手伝い』は途中で投げ出したり、断るといった対応がかなり多い傾向があったし、


数日前、前回の≪平和記念資料館≫への誘い自体には、彼には実際のところ特に理由もなく断られているので、今回も「彼は行くはず無い」のでこちらからは誘うという発想すらなかったくらいだった。

だから、彼が「行く」という事については「僕」も正直結構驚いたし、彼が≪平和記念資料館≫へ行くのが、この時も不思議な感覚がしたし、(あくまでも主観的な見方では)『彼が行く』イメージ自体が全く湧いてこなかった。(少し大袈裟かもだけど)


僕は「どうせ今回も『事』の途中で、帰りたいとか、だるいとか言うのでは」ぐらいにしか彼に対しては思ってなかった。(失礼ないい方だけど。まあ、あくまでも僕の「主観」な観方ですので。僕も人の事をあんま言えんないし)



それで…「自転車の❓」の一連の流れを観ていると
→「彼の宿業(カルマみたいなもの?)」が
→彼の「改善のための対象行為やアプローチ」をとことん邪魔しているよう?)にも思えた。彼を取り巻くその時点での一連の心地悪い流れがなんとなく奇妙な状況に思えた。

確かにそんな感じの予兆的な出来事についてはというと、
「自分自身に対して」は普段からたまには体験するものなんだけれど、眼前で、他人の『予兆』みたいなものをまざまざと観せられる光景は僕には珍しく映った。



「この『予兆』はきっと彼の試練で、クリアしたら、もし乗り切ったら『善い変化なるもの』がおよそ待っているのではないか」とか、
「外部の現象自体そのもの『予兆』自体については、彼のずっと心の奥底の『反発心』が表面化している物証なのではないか」などと勝手にその時僕は思っていた。(今思えば少し僕が神経過敏だっただけの話なのかな…)



彼に「バイクの運転には気を付けてね!」とひと言言ってから、僕と理事長は自転車でその地域の最寄り駅までと向かっていった。


…記事も長くなってきていますがその≪平和記念資料館≫へいく我々のアクションは思ったより、実際には道程がどことなく長く感じられた。



※※≪平和記念資料館≫の内幕、現場では実際に声を上げ、泣いたりする方々もたくさんおられるし、ショックのあまり寝込みそうな姿勢の方々もたくさんおられます…
…あくまでも仮定な言い方をしてしまえば、そういった『えもいわれぬ情念が噴き出す場所』もこの世には様々なかたちで存在しうるでしょうし、そういった『情念の噴き出場所』や『あまりに過酷な過ぎる容赦ない悲劇』を今後においても実在させてはならない…確かにそう言うだけなら簡単です。出来るだけ行動で平和というものを具現化していくにはどうすればいいのか?  

実際に我々はどうしたらいいのでしょう?※※



≪次回は原爆ドーム前から移動をし→平和記念資料館内でのお話しに触れていきたいです。それでは。また次回ご機会がありましたら‼≫


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