「人間関係の究極の体系化」なのか?? →→【【孫子の兵法】】で短レビュー、『泣いて馬謖を斬る』≪街亭の戦い≫  


横山光輝三国志大百科 永久保存版

【諸葛 亮(しょかつ りょう、拼音: Zhūgě Liàng ジューガー リァン、181年 - 234年)】は、中国後漢末期から三国時代蜀漢の政治家・軍師。字は孔明(こうめい)。


【馬 謖(ば しょく、190年 - 228年)】は、中国後漢末期から三国時代にかけての武将。字は幼常。荊州襄陽郡宜城県の出身。兄は馬良(四男)。その他の兄の名は不明。襄陽の名家であった「馬氏の五常」の五男(末子)。



【街亭の戦い(がいていのたたかい)】は、中国の三国時代における、魏と蜀による街亭(現在の甘粛省天水市秦安県)での戦い。228年、張郃が指揮を執る魏軍が、馬謖が指揮を執る蜀軍を破った。この戦いで破れた蜀軍は全軍撤退を余儀なくされ、第1次北伐は失敗に終わった。

【街亭の戦い】
戦争:街亭の戦い
年月日:228年
場所:街亭(現在の甘粛省天水市秦安県)
結果:蜀が一時、天水・南安・安定を支配成功、しかし街亭で大破され、蜀の第一次北伐失敗。

交戦勢力
【魏】
曹真
張郃
郭淮
「戦力=五万(推定数)」

【蜀】
諸葛亮
馬謖
高翔
趙雲
「戦力=六万(推定数)」


孫子の兵法】を参考に三国志の『街亭の戦い』を短くレビューしてみたいと思います。


中田さんの解説解りやすいです
↓↓
https://m.youtube.com/watch?v=0kq3IGSM3jQ


孫子
・「勢とは利に因りて権を制するなり」

 
 計、利として以って聴かるれば、すなわちこれが勢をなして、以ってその外を佐く。勢とは利に因りて権を制するなり。

→(「勢(情況にしたがい、臨機応変に対応すること)」を把握して、基本条件を補強することである。)


つまり「基本と応用」が重要って意味で、奥深い考え方がうかがえます。



「街亭の戦い」では、【馬謖】は孫子の「およそ軍は高きを好みて下きを悪む」と兵法通り原則に忠実に、この戦いでは布陣の時に高所を選んだ。


しかし結果はというと、敵将「張郃」は「馬謖」が山の上に布陣した時、すかさず取り囲み、水や兵糧の補給線を断ち、持久戦に持ち込まれた「馬謖」は飢え死にから逃れようと下山したところ、待ち構えていた敵将の餌食になってしまった。


馬謖」は【諸葛亮】の命を受けた初陣の将軍で、今回基本には忠実だったが、実戦経験には欠け、「応用力」が欠けた戦いでもって命運を分けてしまったともいえる。


ちなみに【馬謖】は→【馬良(※白眉※最も良しと言われた戦略家)】を兄に持ち、馬謖自身も、戦略面では諸葛亮に過去に数々の助言を行い、その手腕を買われるまでになっていたのですが…


※白眉(はくび)とは、中国の故事成語のひとつ。数ある優れたものの中でも、特に優れているものや人の例え。


ところで【諸葛亮】はというとあくまでも「軍法律」が必須と考え、この愛弟子【馬謖】さえも法律の例外の前例となるを恐れ、泣く泣く処刑したそうです。



諸葛亮】については、自身優れた「戦略家」であると同時に優れた「政治家」とも言われていて、今回の戦いにおいても「法」を徹底しているのが見られます。



例えば、『孫子』の「五事七計」では、

「七つの基本条件」の項で


その二、君主は、どちらが立派な政治を行っているか。

その四、法令は、どちらが徹底しているか。

を『諸葛亮』はきちんと死守しており、
「戦略」、
「政治」、
「法令」。
の三位一体の思想体系の重要性を強く感じます。


(『孫子の兵法』は私にはとても難しいのですが…)


まんがで身につく 孫子の兵法
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