日常でよく使われてる??「自我」という言葉について【簡略まとめ】


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カニバリズム(英: cannibalism)とは、人間が人間の肉を食べる行動、あるいは習慣をいう。食人、食人俗、人肉嗜食ともいう。

文化人類学における「食人俗」は社会的制度的に認められた慣習や風習を指す。一時的な飢餓による緊急避難的な食人や精神異常による食人はカニバリズムには含まず[1]、アントロポファジー(英: anthropophagy)に分類される。また、生物学では種内捕食(いわゆる「共食い」)全般を指す。

転じて、マーケティングにおいて自社の製品やブランド同士が一つの市場で競合する状況や、また、航空機や自動車の保守で(特に部品の製造が終了し、入手困難である場合に)他の同型機から部品を外して修理に充てることなどもカニバリズム(共食い整備)と呼ぶ。:wikipedia出典】

 
ハンニバル・レクターのモデルとなったジェフリー・ダーマー】(モデルは4人いたという複数モデル説もあるみたいです。)


死体しか愛せなかった男―ジェフリー・ダーマー

今回は心理学の中でも比較的簡単で日常的なモノに、ピックアップしスポットをあて簡略に記していこうかと思います。

それではよく普段使われる言葉「自我」について触れようと思います。

     
〈自我について〉

たとえば「あの人は我(が)が強いから、やりにくい…」とか、「気性が強かったり、自己主張をやたらする人は…」について
僕は、『じゃあ、それらの人達はシンプルに「自我」が強いって言い切れるのかな』と思ったあとに『そもそもその「自我」ってなんなの??』ってなってくる。逆の意味あいの発言では、「あの偉人は幼少期から聡明で確固たる自我があった…」とか、「…自我をしっかりと持っていて簡単にやるべきことを諦めたりはしない人」など、「自我」の言葉の使われ方が、全体の発言で同じ意味には全く思えない…。

詳しく「自我」のみについて深めに調べてみると、「自我」は《原我(原始的欲望)》、《自我》、《超自我》とフロイトによって大まかに種類が分類されるらしい。一般的に使われる「自我」という言葉は、まあざっとは3つの種類があるということのようだ。


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 1.《原我》→ノンルール(ルール無視)。原始的欲望の心理層。

 2.《自我》→自己であるという強い認識。言い換えれば、自己という存在を一個の人間として確立するため、さまざまな言動をコントロールするシステムのこと。
さらに自我のシステムには、(現実機能)、(適応機能)、(防衛機能)、( 統合機能)の4つの機能がある。

 3.《超自我》→単に「自己」であるだけでは満足できず、より高次元の理想を自分に課しはじめた状態。
(例)幼児が成人して、厳格な判事であった父にしたがって判事になる(ここでは「超自我」の状態と例える)→→ベテラン判事となったころ、その心に女子高生との援交への欲望が頭をもたげてきた(『欲しいものは欲しい』とゆう気持ちになる。原我の状態に一変してしまった。)
         イコール
3つの種類の《我》=《欲望》と仮定されるとなると、《原我》→《自我》→《超自我》へと。

 {1番目の欲望}《原我(無個性な原始的欲望)》
→{2番目の欲望}《自我(一つのまとまりのある人格をつくる統合機能がある社会性人格の欲望》
→{3番目の欲望}《超自我(不幸への恐怖が背後にある良心的欲望)》
             イコール
という《欲望の一連の流れ》=《我(が)》となる。
【注:《我》(が)⇒ <例>《我》が強い人の(が)のこと。】   


〈 帰結について〉
一般的に使われる「自我」は大まかに2つに分けられて使われている様子です。

 
 比較的、自己中心的やわがままといった、無個性でやや本能的な欲望の位置付けの(自我)
 →フロイト定義上の《原我(原始的欲望)》に当たる

 比較的、確固たる個性(パーソナリティー)の性質を持ち、自己であるという強い認識を持ち確立された一個の人間。統合された人格でのいわゆる(自我)
 →フロイト定義上の《自我》に当たる

フロイト定義上の《超自我》については、今回の疑問からの解答からは外れている定義なので帰結内容からは除外することにします。

ご拝読ありがとうございました。

次回はもう少しでもいいから…ざっくばらんなテーマを個人的に書きたいと思います。

それではまた機会がありましたら( ☆∀☆)!

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